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TOKYO

遅くなりましたが、先月アルゼンチンのブエノスアイレスから無事帰国しました。
 
まず始めに、今までこのブログを読んでいただいて本当に感謝しています。 有難うございました。
 
前回分のパタゴニアで青氷河、パイネ、フィッツロイなどを見た後、ブエノスアイレスへ戻り、日本行きのチケットを買った次第です。
 
パタゴニアの青氷河もとても素晴らしかったので、是非訪れてみてください。
 
パタゴニア、そして中南米のまとめを書く予定は今のところありませんが、ご要望があれば、書く次第です。
 
中南米の文化、自然ともに素晴らしく、日本とは大きな相違があり、多くの新たな物事を見聞でき、今現在は満足しています。 
 
このブログでは僕の旅の思い出の一万分の一も伝えていません。 でもなるべく少ない情報量で要点を伝えてきました。 
 
例えばですが、訪れたほぼ全ての国でしょっちゅう停電、断水等の問題があったことは同じことの繰り返しなので省きました。 
 
ラテンアメリカは総じて人との触れ合い方が日本と違いました。 他人でも友人や知り合いのように気軽に話す。   そんな文化も素晴らしいと思います。
 
今は日本が面白く、まるで田舎から初めて東京に出てきた若造のような気分で東京を感じています。 
 
東京の素晴らしい点は、安全なこと、食が美味いこと、欧米文化とは掛け離れた固有の文化、物事を多数持っていることなどだと感じています。   
 
 
 
 
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puerto natales-CHILE

10月27日に書いた分です。
 
 
イオラナ!
 
南米大陸の南端近くにいる。
パタゴニアの噂程寒くないし、風も強くないし、居心地いい小さな町だ。
 
 
 
 
 サンティアゴから ISLA DE PASCUA、 つまりイースター島へ飛んだ。
曇ってたから窓の外を気にせずいた。 
でも、ふと目をやると雲海上にいて、物凄い景色だった。
 
真っ白で広大な雲海からぽつぽつと島のように見える、沢山の山の頂上部。  さらにずっと奥には雪を被った長大なアンデス山脈! 
 
飛行機からの景色は様々で好きだけれど、ああいう7000m近い山脈ってほぼ真横に見えるから圧巻だ。
 
 
約6時間で、紺碧の大洋から、大きくて静かそうな島が見えた。 
こんな海の色があるのかと思うくらい海が驚くほど青く美しかった。
 
テントを借りてキャンプサイトに荷を置き、小さな村の中心へ散歩。 
と、 突然、 ”エッ!? まさか!”
 
そのまさかで、 本物のモアイが、村の小学校の前にあった。   
村の中心の交差点は信号もない。 小さなホットドック屋さんと、学校がある。  学校から子供たちが出てくる。 
見ると、顔が懐かしい。
ポリネシア系だ。 
人口3500人の孤島。
 
イースター島は実際来てみると、チリ領だけど、チリと言うよりポリネシアだと気付く。
 
 
色んなことがあったので、何からどう書いていいのか迷う。
まあ、簡単にまとめる。
 

今までに確認されたモアイ、887体。  その平均高さ4m。 12,5トン。 
 
1500年程前に、イースター島より西側の島から人々が船で渡って来た。  王様を筆頭に階級があった。
先祖を形にしたモアイを作り出し崇めたが、後に、様々な悲劇があってモアイは全て倒された。
 
彼らが太平洋の孤島に渡って来る前からの話も非常に興味深いし、来島後の歴史も非常に興味深い。 
 
長くなるから申し訳ないけど省く。 
とにかく、醤油米生活が始まった。 物価がチリ本土より高いし、遺跡を見に行くときは島に店が村にしかないから、昼飯は毎日醤油米。   だから寝るのもテント。
 
 
二日目にバイクを借りた。 免許証を持っていなかったけれどOKだった。 新しいバイクだったけど、何故かサイドミラーなしで、メットもなし。 
 
未舗装道を走る。 初めてのオフロードバイクはどんな道でも走ってくれるので楽しい。  地図があってもなくてもよく道がわからない。  
 道中、しっぽの短い子馬が母馬に可愛らしく付いて行くのや、ズルズルズルズルーと泥沼で水を飲んでいる茶色の牛やら、ぬいぐるみみたいな子牛を見ていたら、遺跡なんかどうでもよくなって、バイクやのんびりした風景で爽快な気分になった。 
 
 
翌日、日の出前にバイクで15体のモアイが立っているアフ トンガリキへ向かった。 暗くて寒い。
暗闇を走っていて突然目の前に馬がいてびっくりして避けたり、 馬糞を避け切れなかったり。
 
誰もいないアフ トンガリキの朝日。  薄暗い中、昨晩作っておいた醤油米をモアイの目の前で食っていたら、遠くから一頭の馬がやってきた。   
そして別の方角からももう一頭。  
 
そして僕と15体の大きなモアイの目の前でおっ始めよった。  
 なんだか神秘的だった。
 
モアイは写真で見るより大きく、姿勢がいい。 こっちまで姿勢を正してしまう。
頭でっかちだけど、なんともバランスの取れたデザインだ。 
 
 
 僕が最もイースター島で印象に残っているラノ ララクは岩山に沢山のモアイが埋まってたり、突き刺さっているような状態であったり、岩山から切り出されていない状態だったり、3つに折れていたり。 とにかく信じられない光景で、あっちにもこっちにも巨大なモアイがある。 
 
堀が深くて凛々しい顔立ちのや、髭が生えているもの、座っているモアイ、丸顔のモアイ、鼻がとんがっていてしゃくれているモアイ等々。  僕が行ったときは僕以外誰もいなくて、小鳥と虫の鳴き声がが心地良く、遺跡などお構いなしの沢山の馬たちが大人しくモアイの横で草を食んでいた。
 
岩山から切り出し途中のモアイも沢山あって、うっかりすると気付かない。 注意して岩山を見ていると、あっちにもモアイ、こっちにもモアイ、あっ!ここにも! という感じ。  
 
というわけで島のあちこちに、あまりにも沢山のモアイがあるために全てのモアイが柵で仕切られているわけでなく、監視してる人も一部の場所にしかいない。  旅行者の絶対数も少ないから思う存分ゆったりと堪能できるわけ。   これがイースター島のいいところだね。 
 
 これだけ世界で有名な遺跡で非常に素晴らしいのに、あまりにも世界各地から遠いために (飛行機で来るにはタヒチかサンティアゴからのみ。 あわせても一日一便のみ。) 来る人が少ない。 
 そして日本で人気のある太平洋のリゾート島のように、5つ星のホテルがあったりしない。  
 
総じて僕はこの島が好きだ。 
 
 ちなみにラノ ララクには最大のモアイがあって、21、6mある。 開いた口が塞がらなかった。
 
 
 島の各所に倒されたままの大きなモアイがある。 首から折れてしまったものや、頭部が半分大地に埋まってしまったもの、苦しそうに傾いているものなど。  
一人でだだっ広い太平洋をバックに幾つもの大きなそれを見ているととても感慨深い。  
 そこで感じた様々な想いと興味深く交錯する知識を持つ人に同じキャンプサイトで出会った。
 
彼は日本人だが、サンフランシスコで育ち、今はある有名なバイオテクノロジーの研究所に所属している。  一つ二つしか年は変わらないけれど、彼の話には説得力があって理にかなっていた。 色々話したけれど、彼のバイオの話を聞いていると、まるで哲学者か宗教家の話を聞いている様だった。
 
今回の旅で最も興味深い人間の一人だ。 こういう出会いがあるから旅はいい。
 
イースター島の素晴らしい点の一つは、朝日や夕日が本当に美しい事。 同じ太陽でも気候や様々な要因で色んな太陽があるね。   
 
というわけでポリネシアでの7泊のテント醤油米生活が終わった。  自然と遺跡双方一体となって楽しめる場所は本当に素晴らしい。
 
 
 
 
飛行機でサンティアゴに戻り、そのままバスターミナルに行き、夜行バスで10時間半のOSORNOという町で乗り換え、豊かな木々に囲まれた美しい湖や雪を被った火山を見ながらアンデス山脈と国境を越え、アルゼンチンのBARILOCHEに着いた。 
 
バリローチェはアルゼ有数の観光地、且つスキーリゾートだ。  湖のすぐ向こう側に雪山がある景色は格好良い。   雪も少し降って寒かった。   
 
 
 
 
 バスで太西洋のバルデス半島に近い、Trelewという街へ。  バルデス半島は多様な動物がいる。 僕はバスより大きな鯨を見た。  船で鯨の生息する湾に行くと、大きな黒い鯨二頭が目の前に!
その後15分位船の真横にずっといるので、彼らの吐く潮が一度顔にかかった。  
鯨とイルカは見ていると優しい気持ちになるのは僕だけだろうか。
僕が見たのはFRANCA AUSTRALという種で南アフリカ、オーストラリアにも泳いでいくらしい。
 
 
 
 
 バスで5時間でComodoro rivadaviaに早朝着。 誰もいない空港で9時まで寝て、LADE空軍航空で Rio Gallegos経由で El Calafateへ。  44人乗りの中型飛行機で随分揺れた。 カラファテ郊外の乾燥して何もない殺風景な所にある空港は近代的だが、とても小さかった。
 
 
というわけで、
13ヶ月前に居たL.A.から、
南米南端のパタゴニアにやっと着いた。
 
 
  
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santiago-chile

santiagoにいる。  昼間はTシャツで十分。  暖かい。
 
 
イグアスからブエノスアイレスへのバスはサービスよく、シャンパンまで出てきた。 
でも、初日が白い息が出るほど異常に寒く、ブラジルから来たこともあり、夜は凍えそうだった。   ロングコートを着ている人もいた。
 
街を歩いて思ったのは99%白人だということ。  町並みは完璧なまでに区画されていて、建物もパリやロンドンのようだし、犬の糞と喫煙者はどこにでもいる。
 
AV9  DE  JULIOは世界一幅の広い通りらしい。 片側10車線で、一度では渡れない大通りだ。
 
メトロはレトロで、ドアも椅子も木製だったり、自分でドアを開ける車両もある。 発車してからドアが閉まり、止まる前にドアが開かれる。  元丸の内線の車両も走っていて、車内が随分広く感じた。
 
アルゼンチンはTEAよりCAFE,肉、ワイン、サッカー、マテ、タンゴ等が有名。 
 そしてアルゼンチンのベストは何と言っても、厚くて柔らかくて安くて目茶苦茶旨い肉!!!
 
BOCAスタジアムで BOCA JUNIORSの試合を見に行った。 日本のプロ野球の応援とは違うが、同じように常に応援歌やら拍手やらブーイングやら、”オーレ!”の声が圧巻!    皆が興奮して一斉にジャンプするとスタジアムは壊れるんじゃないかと思うくらい揺れる。  観客席はカオスで3時間ラッシュアワーの列車に立って乗っているのと同じ状態なので、ゆっくり見ることなどできない。   ゆっくり見るなら少し高い席じゃなきゃだめだね。
 
プレーはレベル高いけど、ブラジルの方が激しいし、見てて面白い。
 
 
アルゼは、社会が先進諸国と同じようにシステム化されている。 他の発展途上諸国であったような混沌、もしくは日本では考えられないような物事が極端に減った。 ある意味楽だし安全だけど、反面、面白味は減った。
 
だけど、夜安心して散歩できるのは嬉しい。  LAから、深夜でもゆっくり歩ける国は覚えているだけでCUBAとアルゼだけだったからな。
 
 
 
 ブエノスアイレスの後、ROSARIO, CORDOBAを訪れた。  道中バスに乗っていて気楽だった。  ラテンの殆どの国のバス車内は盗難に用心しなければならないので、長い道中しんどい。  その点アルゼはその心配が殆ど無いので、車窓を眺めながら、”こんなにほっとしてバスに乗っているのはいつぶりだろう?” と思った。
 
 
 
ワインと様々なアウトドアスポーツができることで有名なMENDOZAへ。
静かで居心地のいい町。 
 
郊外のbodega(ワイン工場)へ。 赤ワインはスペイン語でtintoという。   ワインについての色々なことを教えてもらった。  
 
ここチリもワインが有名で格安で売っているので毎晩のように飲んでいる。 折角なのでいいワインを買って飲む。  日本では考えられない安さだけど非常にうまい!!!
 
アルゼの飲み物はワインだけでなく、マテがある。
 
マテという小さな入れ物に、yerbaというお茶葉と湯を入れボンビーシャという専用ストローで ちょびちょび飲む。  僕は砂糖も入れるのだけれど、暇つぶしにもってこいだ。 これをアルゼンチン人は嫌というほど毎日飲む。
 
それはまるで携帯電話のように常に身の回りにあるわけで、僕が初めて飲んだのはベルリンだった。  アルゼンチン人の旅行者が大量の茶葉と飲む道具一式を携えて欧を旅していたのだ。 でも彼らにとってこれは例外でなく極普通のことだ。 
 
 
MENDOZAでパラグライディングをやった。 予想していたより安定して揺れも少なく、浮いている感覚がなんとも違和感があった。   200M位の高さで浮いていても、自分が宙に浮いていることが信じられず、何とも奇妙な体験だった。
 
乗馬とラフティングは面白かったし、またやりたい。   
 
 
 
 先月で今回の旅も一年が経った。  ブエノスアイレス以降体調が思わしくなかったし、久し振りに安全な国に来てどっと疲れている。  アンデス諸国が今回の旅のメインだったし、それ以降心から感動したのはイグアスの滝だけで、コンスタントに感動が無くなったこともある。
 
でも旅の面白いのは常に波があることだ。
 
明日太平洋の孤島に飛ぶまで飛行機を待たなければならなかったことと、体調が悪かったことが重なって、メンドーサ以降ゆっくりしていた。   
本来なら、 ”退屈だなあ、 楽しくないなあ。”  となるはずだが、そうはならなかった。
偶然にしてはできすぎるくらい、出会う旅人が皆とてもいい人間達だったのだ。 なんでこうも出来すぎたタイミングなのか、旅とは不思議なものだ。
 
 
一度週末に旅行者11人で飯を食いに行った。 僕ともう一人以外は欧人だったが、共通語が英語じゃなく西語だった。 皆いいやつらで勿論ほぼ全員英語を喋るけど、西語が好きな連中だった。 仲のいい英国人davidは西語が全く喋れず可哀相だったが、西語の方が好きな僕にとっては実に愉快な食事となった。 
  偶然僕らのテーブルの後ろにのりのいいメンドーサのプロサッカーチームが食事をしていて、ちょっかいを出してきては僕らを楽しませてくれた。
 
食後皆で夜街を歩き、飲んだ。  メンドーサは日本人が珍しいのか、僕だけジロジロ見られたり、写真を撮られたり、何度も話し掛けられたり。
 
全部は書けないけれど、ともかく後述のvalparaisoでもいい連中との出会いが幾度もあった。     そういう偶然の出会いが疲れを癒してくれた。
 
 
 
メンドーサからバスで美しいアンデスと国境を越え、再度チリへ。
 
VALPARAISOという太平洋岸の丘に囲まれた港街へ。  100年前に造られたASCENSORと呼ばれるエレベーターのようなケーブルカーが沢山ある。  非常にレトロで、乗ると太平洋と丘に囲まれた街並みが見え可愛らしい。   レトロで静かな路面バスが走り、セーラー服の海軍人が街を歩く。
 
 
宿は国会議事堂の目の前。
そこでたまたま国会で働いている婦人と出会い、普通は入れない建物内を幸運にも案内してくれた。 国会やら式典用のホールやら 記者会見室は面白かったなあ。
 
アルゼンチン人も背が低いけれど、チリ人は特に低い。 体系は日本人と同じようだし、高校生の制服姿は日本のそれと酷似している。
 
というわけで今、首都SANTIAGOにいる。  ここはとりたてて観る所がなく面白味にかける。
 
明日、あの有名な島ISLA DE PASCUAに飛ぶ。
たのしみ。
 
 
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sao paulo-brasil sep15

9月15日に書いた分です。
 
 
 
ブラジルを駆け足でまわって、サンパウロに戻ってきた。  
 
以前、サンパウロでサッカーを観に行った。 試合前に格好いいブラスが応援歌(?)を演奏しながらグラウンドを一周する。  観客は盛り上がり、男は上半身裸が多い。  試合中はほぼ皆立ちっぱなしだし、怖いくらい熱気がすごい。  マリファナの臭いも常に鼻につく。   
 試合は激しく、日本のようにバック陣で無用なパス回しなど無く、速い展開でレベルは非常に高い。  とかく止まるという事を知らないかのようだ。  ボールが止まっている時間があまりにも少ない。  こんなサッカーだったら飽きずに見れる。  
 
以前ローマで中田の試合を見たけど、スタジオオリンピコは熱気と歓声の格好よさが印象に残った。
それに対し、サンパウロでの試合は動物的なPLAYと応援の熱の入りよう。   どちらも共通するのはスタジアムが揺れる事。 
ホームチームが一点負けていて、後半45分に同点に追いついたから、物凄い盛り上がりようだった。
でも終了の笛とともに観客は駆け足で帰る。  何故なのか?
 
近代的なサンパウロは発展途上国にあるような、ややこしい人とのやり取りが無くて楽。 まあ、良し悪しはどこでもあるけど。
 
一ヶ月前にLASERをやって、視力が1,1まで回復した。 もうメガネは不要。 楽。
 
 
 
 
飛行機でジャングルの中の都市マナウスへ。 
赤道に近く、非常に暑い。  不快。  
3階建ての船でアマゾンを下る。  流れの少ない茶色の濁った大河。  街でハンモックを12R(約600円)で購入し、船室に吊るす。
 
12時半発だが、すぐ隣のドックまで進んだだけで、5時間待ち。   その間大量のハンモックがそこら中に吊るされる。  乗客は二百人位だろうか。   僕のハンモックの下にも他人のハンモックがあって、寝てるときにぶつかる。 
 
朝飯コーヒー、パンのみ。 
三階デッキで、サンバが大音響でかかる。 ジャングルをバックに水着で踊る黒人女達。 
 
昼飯 白米、パスタ、チキン、豆。 
一階は庶民的で、黒人の子供達の遊びを見たりして過ごす。  そのうち、子供たちも寄って来て、一緒に遊ぶ。 僕の辞書大のロンプラを読む2歳の女の子。 足の上に乗せて読んでいるが、ロンプラが異常に大きく見えて仕方ない。 可愛い絵図。 
 
夕食 白米、パスタ、チキンのみ。 昼と同じ。
 
翌日、朝、ビスケットとコーヒーのみ。 だんだん腹が立ってくる食事内容。
昼飯もまた同じ。 白米、パスタ、チキン。    シャワーは河の水。
 
サンタレン近くの河は青の河と茶色の河がはっきりと分かれていて、不思議な光景。
とにかくやることが無い。 暇。 読書。
腹減ってないのに、いつも夕食は17時と決まっている。 そして同じ飯。 脂っこくて参る。
毎晩ジャングルで見える稲妻。   
朝日と夕日はいつも綺麗。 
 
突然船の両側にネットを張る船員。 聞くと、”ラドロン” (盗人)と。  
よく意味がわからず。
 
気付くと船に近寄る沢山の小船が見えた。 物乞い達だ。 
 
ネットの外側にはいつの間にか二人のジャングルの青年が小船を付け、(と言っても僕らが乗っている船はかなり速く、手漕ぎの小船に乗っていてそれをこの船に付けてしまうのだから凄いよね) ネットの外側から塩味の海老を売っている。   
 
延々と続く茶色の大河と両側の緑の木々。  毎日同じ景色だ。 
初めはあまり感動しなかったアマゾンだが、三日も経つとその広大さに感動が沸く。 毎日両側に見えている木々のあまりの量と、さらに見えてない向こう側に存在する広大なジャングルに。 
 
次第にぽつんぽつんと数百メートルおきに見える木々に覆われた高床式の家々。  いったいどんな社会なのか。
 
約100時間かかって1500kmを移動し、BELEMへ。 突如ジャングルから姿を現した摩天楼。   4日間ジャングルを見ていた僕の目からすると30階建てのビル群もNYや香港のように見える。 
 
僕以外全員降りた。  船員達と共に、5日目のハンモックで眠る。  一日でも宿代がうくからだ。
 
 
 
 
SAO LUISへ。  バスは12時間のはずが15時間かかる。 未舗装道もありかなり揺れた。 
久し振りの大西洋。 緑色。  様々な顔、ファッション、スタイル、髪型の黒人を見るのが楽しい。
旧市の町並みは悪くないがマーマー。 新市街は高層ビルが建ち、近代的。
 
ブラジルのあまりの物価の高さに辟易する。 パッカーに重要な安宿、飯、移動費等が異常に高い。
 
 
空港は小さいが新しく綺麗。 朝の5時前発。 朝日が虹色で幻想的。   FORTALEZA経由で8時RECIFE着。  大きな都市。  南米大陸の東北に位置する出っ張りの海に面した都市。
 
 
近くの世界遺産の街OLINDAへ。 旧市街の町並みは悪くない。 丘の上の教会からの景色は最高!!
眼下に椰子の木々、茶色の屋根、青緑の大西洋、教会のファサード(全ての教会が丘の上の教会向きに造られている)、遠くに円を描く海岸線、新市街のビル群。 
 
RECIFEの海岸では平日なのに、夜は皆運動している。 海岸線に平行して立つ無数の高層マンション。 
 
翌日はHOSTALの連中と海でゆっくり。 週末で人と物売りが多く気候も最高!  物売りも色々いて、ビール、アイス、焼き鳥、焼き魚、アクセサリー、絵等。  動かなくてもひっきりなしに来るので楽。  女性はほぼビキニ。  
 
夜皆で、野外FESTAへ。 アフリカ音楽のパーカッションが最高にいい。 沢山の人がいて、その欧風ファッション、アフロやドレッドの髪型を見ているだけでも楽しい。 
 
4時に寝て6時起き。 土砂降り。 RECIFEは毎日スコールのような雨が降った。
飛行機は海岸近くにあり、飛び立ってすぐに沢山の高層マンションが建つ海岸線が真下に見えた。
そして広い大西洋!  本当に格好いい景色だった!
 
 
 
 
 
 
SALVADOR空港に降り立ってから、バスでフェリー乗り場へ行き、フェリー、バス、高速ボートを乗り継いで、MORRO DE SAO PAULOへ。 
ここは、3つの小さな海岸のある、車の無いツーリスティックな所。 
 
綺麗だし、良い所だけど、 一人で来るところではない。 クレープ屋に”JAPONESE” ってクレープがあった。 なんと、テンプラクレープとMENUに書いてあった。 美味いのか?
 
夜は海岸に沢山のフルーツを並べたカクテル屋が軒を並べる。 珍しい果物を見ているだけでも楽しいし、カクテルも美味い!  
車が無いので、”TAXI”と書かれた工事用の一輪車が旅人の荷物運びに活躍していた。
 
 
 
 
SALVADORは海の見えるナオヤドに泊まった。 8年住んでるナオヤさんの家。 居候のような感じ。 
SALVADORはブラジリア、リオの前に首都があった古都。 高さ80mの崖が街を縦断していて、街中にエレベーターなどがある。  セントロは坂道とパステルカラーの建物が多い。 そしてなんと言っても黒人文化。
 
カポエラというアフリカ(アンドラ)の武道を教えてもらった。 ブレイクダンスにも似た動き。 逆立ちで足を前後に振ったり、片腕だけで立ち、体をえびぞりする人。 人間離れした動き。 
GRAVIOLAという果物のアイスや、ジュースが美味い!   
 
 BARRA海岸へ。 じょうろを持って海水を人々の足にかける陽気な黒人。 かけられると気持ちがいい。
砂浜で人間大の砂彫刻と、詩を作っているオヤジ。   沢山の椰子の木を頭にのせたように見える短髪ドレッドの黒人。 
 
昼は暑く、夜は快適なので、ビールが飲みたくなる。  近くのシャレたPIZZA屋で裏地がさくさくのPIZZAを食べた。 本当に美味しくて今までで一番のPIZZAだと思う。 
 
コロンビアによくいたESPRESSO売りが、セントロに沢山居る。 トラックの形のように改造した小さな台車にのせて売る。 スピーカーも取り付けてあるので、様々な曲をかけている。 ハンドル、クラクション、ミラーまで付いている。 
 
SALVADORは特に黒人を見ているのが楽しい。 奇抜なヘアースタイル、カラー、様々なドレッドヘアー、ムキムキの男達、壁のように縦も横も大きな男。  スタイル抜群の女、夜路上で打楽器を打つ人、踊る人。   
世界で最もお洒落で格好いい黒人達のように感じる。 
 
そしてなんと言ってもどこからともなしに聞こえてるBOSSA NOVAがいい! 
 
綺麗でシンプルな空港からGOL航空に乗る。 なんだか飛行機に乗りにブラジルに来たようだ。  
僕が訪れた都市は殆ど近代的な新市街があり、まるで先進国だ。 勿論何千万人という貧民がいるわけだし、全ての人が豊かな生活をしているとは言えない。 
でも物価が本当に高い。 南米で一番と言われているチリとどっこいだ。 
重ねて国土が広大。
オーストラリア大陸より大きい。
となると、飛行機のほうがバスより、時間とお金を考えると安くつく。
 
GOLのチケットはスーパーのレシートのよう。  こっちのほうが普通のかさばる航空券より良い。   綺麗な黒人のステュワーデスが、ドレッドヘアーでビックリ!  聞くと”GOL航空以外はだめなのよ”と。   制服も白のタイトなTシャツに、黒のパンツ。  経費削減でだろうけど、これ位でいいよねもう。  
 
 
 
 
RIO DE JANEIROへ。  友人に薦められたHOSTELへ。  一室に32人寝れるドミトリー。 異様な光景。  一泊1500円。  (これは中南米では考えられない値段)
 

夜は誘われるまま、LAPAのナイトライフ。   ”さあ、行くわよー!”って取りまとめのHOSTELのねえちゃんに付いて行ったのは24人。 HOSTELに泊まっている連中が全員居たんじゃないかと思えた。
宿前でTAXIを六台一気に止める。 夜は赤信号でも止まらない(止まったら色々来て危ない)ので、速い。  
クラブが沢山あって、何万人という物凄い人。 外でもサンバをやっている。 こんなのが毎週やっている。
 
翌日、リオの写真でよく見る、フランスパンを半分に切ったような形の尖がった岩山のPAO DE ACUCARへ。    リオは形容し難い非常に複雑な地形をしているので、上から見るとそのハチャメチャな美しさがよくわかる。 
美しい大西洋に浮かぶ島々。  複雑な形をした湾に浮かぶ空港(市街地から歩いて行ける近さ。これは良い!)、そこに向かう飛行機は真横を通る。 着陸時のタイヤの摩擦で出る白煙もはっきり。   大きなベイブリッジ、沢山の山々、岩山。  平地に埋まった近代的な町並み。 ビーチで楽しむ人々、ハーバーの無数のヨット。  そしてあの有名な岩山の頂上の大きなキリスト像。 
 自然にできた地形にしちゃよくできた地形だし、そこに都市があって、それを真上からはっきり眺められる岩山があるっていうのもできすぎだ。 
 そういう意味では必見です。
 
 キリスト像のある、コルコバードの丘(710m)へ。  ここもPAO DE ACUCARに並び、物凄い景色。 ここも必見です。 (行かないとその凄さが分からないと言ったらこれを書いている意味がないけれど、リオのこの2箇所の景色はそう言い訳してもバチはあたらないと思う。 とにかく物凄い景色!)
 
 
翌日、イパネマの娘で有名なイパネマビーチへ。 日曜で物凄い人の数。 友人とゆっくり過ごす。
 
リオは南米で最も治安の悪い都市と言っても過言ではない。  リオ州だけで2004年に6440件の殺人。 900箇所のファベーラ(スラム)。  今年5月一ヶ月の路線バス強盗が746件!  1990年代後半には月に700件の殺人があった。
というわけで、リオは本当に注意してたんだけど、イパネマは警察も結構居てリラックスできた。
 
と思っていたら、、、、
 
午後二時くらいに、突然、周りに居た休日を楽しんでいた大勢の人々が群衆となって全速で逃げだした!!!!! 
 
(まるで9,11のような光景だと思ったら本当に9月11日でビックリ!)
 
あまりに突然のことで、サメか!? いや、サメは陸まで来ないしな。  銃か!? いや、銃声は聞こえなかったしな。 などと暢気な事を考えていたが、心臓は恐怖でいっぱいだった。
(群衆が逃げる場面に遭遇しないとその恐怖は分からないけど、その恐怖は心臓に悪いね) 
すぐに群衆は遠巻きにして様子を伺っていた。 聞くと、ファベーラ(スラム)から来た若い連中の集団強盗。 50人位一斉に来るらしい。  そして毎週のように起こると。   信じられない。
 
ブラジルで僕が訪れた都市で観光客が行きそうな所は、”そこまで危ないのか”と疑いたくなる光景が殆どだ。  それでも昼夜関係なく犯罪が起こる点で油断ならない。  個人的にはラテンアメリカ諸国の中でブラジルが最も落ち着かない国だ。 (治安抜きにしたら良い所なんだけど) 
 
 
 
音楽はCUBAと並んでラテン諸国でも好きな所で、探せばいくらでも良い音曲が手に入るだろう。  
 
 
 
 
サンパウロ経由でイグアスまでバスで行った。  サンパウロまでに交通事故があり二時間遅れ。
イグアスまでのバスが二時間遅れで来て、さらに故障で乗り換えのバス待ち。 どうにかしてほしいと思う。 ラテンアメリカのバス。
 
というわけでイグアスからブエノスアイレスまで飛行機で飛んでやろうと思ったけど、三列シートの良いバスが安かったのでそれに乗った。 サンパウロからバスで連泊。 32時間。 
 
ブラジルはラテンアメリカで一番日本や日本文化を知っている国の一つだと思う。 例えば ”チーノ”とは呼ばれず、”ジャポネーゼ”と言われる。  日系人の多さに因るのだろう。
 
最近街歩きをしていて後ろを振り向くのが疲れた。 治安の良い国に行きたいというのが本音。
 
ポルトガル語(ブラジル語)で文末に日本語とほぼ同意で使われる ”ね” が好きだ。 何とかだよね?  のように使う。
 
あと、”はい” とか、”えっ!?” とか ”HEY!” の意で使われる”オイ”というのがある。 
日本語の感覚だと本当に使いづらい。 
 
ただポルトガル語の音はとても好きで、また世界のどこかでポルトガル語を聞きたいと思う。 
    
   
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São paulo-BRASIL

 世界で三番目に大きな都市らしい。 
 巨大で近代的で、思ったより綺麗で危なくなさそうな都市サンパウロに居る。
日中は暑く30度程。 夜は快適。  ジャングルの沢山の森林を思わせるような大量の高層ビル。 綺麗なバス、メキシコ以来のMETROに乗るモダンな他人種。  人口は1700万人とも。   
 
 
 ボリビアのウユニからチリのCALAMA行きのオンボロバスは、二回のパンクで大幅に時間が遅れた。 朝の4時出発で(気温0度)勿論暖房など無く寒すぎて寝るに寝れない。  パンクしたタイヤにコップ一杯のアルコールをかけて道端で焼く運転手。 
 
 国境は何にも無い山に囲まれた平野。  チリのバスとここで乗り換える。(勿論乗客の大量の荷物も全て入れ替える)  小さな道路標識のような看板にCHILE/BOLIVIAと書いてあった。 
 
 国境からたったの1kmのチリイミグレでまたもや荷物を下ろし荷物検査。  まったくもって非効率的。 チリ入国は食材もだめで結構うるさい。 
 何遍も待たされてやっと出発したら、3分で止まり、 ”昼飯!” と。  もううんざり。 
結局9時間のはずが、14時間かかった。 
 
 
 チリのCALAMAは地方都市だけど、ウユニから来ると天と地。 気候も暖かいし、とても綺麗な銀行やブティックがある。
人に何か物事を聞いてもとっても親切丁寧に教えてくれる。  平和で貧しくない印象。 
 久しぶりに外国へ来た!って思った。  町を歩いているだけでも先進国の匂いがぷんぷん。
 
”南米一物価が安いインディヘナの国” から、”南米一の先進国” へ来た実感。 
 
 ラテンアメリカを陸路で旅していると、殆どの国境で、新たな国に来た実感がはっきり沸かない。  文化も言語もほぼ同じだからだ。  
 この国境は今までラテンアメリカの旅で一番がらりと雰囲気が変わった国境。
 
バスで二時間のSAN PEDRO DE ATACAMAへ。  非常にツーリスティックな小さな田舎町。  チリの長期休暇と重なって物価が以上に高く、泊まれた宿は1600円!! 1400円にまけてもらい泣く泣く泊まった。  今回の旅で米国、CUBAに次いで高い。 
 
アルゼンチンのJUJUYまで行くバスも10時間で40ドルもするし、三日後までバスが無いとのこと。 
 
翌日町外れにある税関でヒッチ。 田舎町だし交通量は極端に少なく、目当てのJUJUYを通るトラックも5台くらい。 皆断られる。  
 
途方に暮れていると、大音! タイヤが22個も付いている大型トレーラートラックが溝にはまった。  溝を抜け出し、修理しだす運転手。  暇なので話していると、乗っけてくれることに!  ドジな運転手は嫌だけど背に腹は変えられないし、ペルー人のいいオヤジだったので乗った。
 
景色は最高に良かった!  プカプカタバコを吹かし、高い座席に揺られながらオヤジと話す。  黄色の大地、山の上の真っ白な雪、道端の氷った川。  真っ白な塩湖のど真ん中に道路があって、格好いい。  バイクで走ったら最高の道。 
9時間半で到着。
ATACAMAが標高2438m。 通った一番高い峠が4900m。 JUJUYが1260m。  さすが南米。
 
JUJUYも地方都市だけど、チリと同じくホッとする。 
早速あれを食いに行く。 
 そう、アルゼンチンといえば、牛肉!! 
少し高かったけど、(勿論TOTAl 千円はしないけど)分厚いジューシーな肉は外側がかりっとして、中が柔らかく美味! 
酢、胡椒、塩、油だけでも新鮮な野菜はうまい!  トルコ並みに美味かった。  パンも最高!
 
バスで二時間のSALTAへ。  ここもある程度大きな地方都市。   中心の広場は広く、欧のようなオープンカフェや、ピンクが綺麗な大きな教会。  木も桜のようなピンク色で美。   店も人も近代的で綺麗。    半パン、タンクトップにサンダルでも暑くてバテル。 
 
RESISTENCIAというパラグアイ近くの町までバスで行き、乗換え。 パラグアイの首都アスンシオンまで19時間。 
サッカー元日本代表の広山も来たらしい和食レストランへ。 とんかつ最高! 10ヶ月ぶりの納豆も最高!!!
 
アスンシオンは首都とは思えぬ、どうしようもなく面白味の無い町。 政府関係の建物の周辺にはスラムが広がり、その惨憺たる有様に言葉が出ない。 
 
バスで5時間半、ブラジル国境の町CIUDAD DEL ESTEへ。  アルゼンチン国境も近く (アルゼンチンへ行くにはブラジルを若干通らなくてはならない)、三国間で最も物価の安いこの町に電化製品やらなにやら沢山の店が集中していて賑やかだ。   タバコ1カートン120円で売ってたのには驚いた。   通貨もドルを含め4通貨が流通していて頭が痛い。 
 
 
イグアスの滝(アルゼンチン側)
 ジャングルの中、湖のように静かな流れの少ない川から一斉に大量の水が流れ落ちる。  僕の知っている水の質感とは異なった巨大な何かの群れのような滝もあった。  まるで数年に一度世界のどこかで起きる大洪水のようだ。  それが数万年、(億年とも)流れ続けていると。  僕の脳では処理できない量。 
 
虹はいたるところで観られる。 
滝に突っ込むボートツアーはスリルがあってずぶ濡れになって楽しかった。 
イグアス最大の滝GARGANTA DEL DIABLOは筆舌に尽くし難い。 あんなにも大量の水が一斉に落ちるなんて。  滝壺は跳ね返りの水とその水煙で見えず。 それらがそのまま上昇して雲になるのが分かる。  
 
(今隣でNETやってるブラジル人達が懐かしい歌を歌っている。    たーいーよお せんたい サンバルカン! イーグルシャークパーンサー! イーグルシャークパーンサー!)
 
 
 
                
 
                      出会い
 
突然だけど、ペルーのアレキパ編(6月2日編)のマヨルカカップルのことは覚えているだろうか? 
あの後偶然街中でも会って、マチュピチュでも偶然会って、ラパスでは偶然2,3度会った。  こんな偶然もあるものかと思っていたら、ポトシでも偶然会って、互いのルート確認をして、”もし今度会うとしたら多分リオだね。”  なんて話してたら、偶然イグアスの滝でも会った。
 
 そんな偶然ばかりなのでイグアスの滝2日目も約束せずに偶然出会って、夜飯を一緒に食った。
年も近く、別れ際、”今度会うとしたらマヨルカだね。マヨルカは絶対来なきゃだめだよ!” と言われた。
旅をしていると初め出会った所から遠く離れた所で再会することは少なくない。  でも9度も偶然出会ったことは今までにない。  
 
 
 翌日ブラジル側の滝へ。 アルゼ側の ”ド迫力” に対し、ブラジル側は”美”
 直径100か200mの真ん丸の虹を見た。  橋状の虹しか見たことないからとても幻想的。 跳ね返りの水でずぶ濡れになりながらじっとその虹を見ていた。    自然の巨大な芸術。
 
 
 バスで17時間。 高層ビルが大量に建つ南米最大の都市サンパウロへ。 
ボリビアのウユニから12日間で約3000kmを70時間かけてサンパウロまで来た。  
3回時差が変わり、通貨も4度変わり、最低気温0度から最高気温30度になった。  10ヶ月慣れ親しんだ西語がポルトガル語に変わった。 
 
今リベルダージという東洋(日本)人街にいる。  ヤキソバ、テンプラ、ショ-ユという単語がブラジル人の口からも発せられる。 東洋人があまりに多いので、僕が歩いていても旅行者として見られることはなくとってもリラックスして町を歩ける。  日本語の新聞が売られ、日本語で買い物をし、和食を食う。  日本語の本屋で、ブラジル人が漫画を買いに来ている。
 
日曜日は沢山露店が出て、日本語の書かれたはっぴを着た人達が売る餃子は最高に美味かった。
 
中心地もそうだが、パウリスタ大通りは片側4車線に広い歩道、高いビル群が両側に連立して圧巻。   メキシコシティ、パナマシティ、ボゴタよりも近代的で先進国。 
 
高いビルに囲まれた町を歩いていると自分が何処の国にいるのか忘れる。  まるで思っていたブラジルのイメージとは違う。
そして物価が高すぎて困っている。 
 
 
 
 
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UYUNI-Bolivia

 世界最大の塩湖ウユニ。  町は小さく何もない。  (標高3675m)
 
ここから早くチリに行きたいのだが、チリに向かうバスも列車も週に二便しかない。
 
TUPIZAから同年のミッチーと一緒に3泊4日のウユニ塩湖ツアーに参加。 ランクルは乾いた大地を走る。  だだ広いカーペットのような砂と砂利の大地を車線などなく突っ走る。   4日間ずっと未舗装。 
   一日目は走っても走っても同じ景色だった。  凍った小川を渡ったり、ビクーニャを見たり、野生のピンクのフラミンゴを見たり。
夜空は毎晩物凄く、流れ星がゆっくり落ちた。
 
一緒のツアーだったのは22歳のイギリス人4人組。  大学時代一緒に生活していて、10ヶ月世界旅行をしている。  仲良し姉妹のようで朗らかだった。    みんな性格の良い娘達で楽しかった。 
 
ハイライトは最終日のウユニ塩湖。  雪のように真っ白な塩の平野。   青い空と真っ白の塩湖が、真っ二つに切られたごとく見え素晴らしかった。 
 
雨季には塩湖に水が溜まり、巨大な水鏡になる。   今は乾季で思ったほど感動せず。
ボリビアはティティカカの太陽の島が一番よかった。
 
 それにしても最近、洗濯が冷水でしんどい。
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TUPIZA-bolivia JUL 26

ーーーーこれは7月26日の分ですーーーー
 
ボリビア南部の小さな町、TUPIZA(2950M)に居る。
 
ラパスから、スクレ(元LA  PLATA市。標高2790m)へ。
町全体の建物が白く、美しい街だった。 夕飯に食ったパスタとクレープがやけに安く美味かった。  
 
その後に訪れたのはポトシ。   銀と世界一標高の高い町(標高4070m)として有名な町。     さすがに寒く、不快。
鉱山ツアーへ。   中に入る手前に沢山の鉱山用品の売っている地域がある。 どこの店にも売っているのが、ダイナマイト!     導火線等込みで2ドルで買える。  大きな葉巻大で中は緑の粘土のようなニトログリセリン。  ボリビアやペルー等のダイナマイトを使ったデモなどはこういった鉱山で入手したものを使っているとか。    鉱山労働者が休憩時に飲むアルコール96%を飲む。  熱い。
 
工場では砂金ならぬ砂銀の様なものを見た。 キラキラ銀色に輝いて綺麗。
 
トロッコが一台通れるほどの小さなトンネルに入る。
中は暗く、空気が悪くて息苦しい。 ただでさえ標高が高いのに。  中はライトも梯子も何もない。 あるのは新鮮な空気を送るパイプだけ。    どんどん進んでいく。  ダイナマイトを設置している労働者。   そこから這って行かなくては移動できない小さなトンネルをぬけ、ダイナマイト設置場所から数十メートルの所で待機。   ダイナマイトの炸裂音と風圧と揺れがくる。    労働者はいつものことなので平気な顔だが、僕らツアー客は不安げ。
 
3時間ほど鉱山の中に居ただけでも辛くてもう二度と行きたくないのに、労働者は一日5ドル程度しか稼げないらしい。
ツアー最後に野外でダイナマイトを体験。     皆100m程離れて見守る。 
ダイナマイトは花火と違い、音よりも、風圧や爆圧が凄い。      恐ろしい品物だ。
 
ポトシからTUPIZA(標高2950m)へ。 ここは映画   ”明日に向かって撃て”  の舞台になった所。 西部劇に出てきそうな場所。     赤い乾燥した岩山やらサボテンやら砂を吹くんだ風が小さくて静かな街を包む。  ボリビアでは暖かい方らしいが、真冬なので朝7時で0度!  非常に寒い。 
 
昨日は列車で3時間のアルゼンチンへ。  乾燥した景色はテキサスとかラスベガス(行ったことないけど)のイメージ。
アルゼンチン国境のすぐ横に小さな橋があって皆国境を越えて渡っていたので、僕も渡ってみた。
  そのついでにLA QUIACA(アルゼンチン側の国境の町)を歩く。
レストランに入ると、 キューバのようなレトロでお洒落な店。 白色系人種が多く、言葉もアルゼンチン訛りになっていた。 何人かが食っているステーキが美味そうでボリでも支払い可能だったので食す。  分厚くて大きな柔らかい肉!    ボリビアで食うより4倍高いが、美味かったので良し。
二時間ほどアルゼンチンをお邪魔して再びボリビアへ。 
 
今日はラパスで知り合ったミッチーと乗馬。  僕のはチョコラテっていう名のアルゼンチン産の大きな馬。   西部劇に出てきそうな大地。  赤い大きな岩山、渓谷。  久しぶりに駆ける。   とっても気持ちよく、走りまくる。  ヨルダンのペトラ遺跡のような格好良い細い谷道もあった。
 
この季節(6、7、8月が冬)アンデスのボリビアは一日中暖かい快適な所はない。  何が辛いってシャワー。  日本のように温かい御湯が沢山出る宿は泊まってない。  でも、奇跡的にここtupizaの宿は一泊2、5ドルの安さでガンガン温水が出る。  あんなHOTシャワー何ヶ月ぶりかわからない。  感動しまくった。(シャワーで)  ともかく気持ち良すぎて有り難かった。 
 
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La Paz-Bolivia

 16日はラパスの祝前日でお祭り。 夜は大通りにラッシュアワー並みに人がいて、揉みくちゃ。 幾度も静電気が痛かった。   楽しかったけど、買ったばかりの靴は踏まれまくって見るも無残な姿に。 
 
 
 
 
                    この旅最悪の一日
 
ボリビアの30日以上の滞在許可は、一度国外に出て再入国するのが僕にとって最適だったので、昨日バスで二時間のペルー国境へ出かけた。  宿から乗り合いTAXIで近くのバス乗り場へ。   
 
降りてバス乗り場を探していたとき、自分のバックにマスタードがべっとり付いていることに気付いた。 TAXIから降りて200M歩いていた間に付けられたのだ。 ものの5分だ。  それも朝の10時にだ。  
上着も付いてないか確認するために脱いでみると、背中一面に黄色のマスタードがべっとり大量に付いている。  その瞬間、道行く女性がティッシュを渡してくれた。  
荷物を自分の足の間に置き、上着を拭いた瞬間、一人の男が僕のバックを盗み駆け逃げる。 (荷物を自分の足の間に置いていなかったら気付かなかったかもしれない)  
 
瞬間の出来事ではっきりと覚えていないが、すぐに追いつき荷物を左手で取り返し、右手だけで男の襟首をがっちり掴んだ。    警察を呼んだり、相手を怒鳴りつけたりしているうちに、人だかりができていることに気付く。  殆どは遠目に観察しているだけだったが、その中にいったい何人の仲間がいるのか、 あるいはこの騒ぎに乗じて右手のふさがっている僕の左手のバックを誰がまた盗もうとするのか、疑心暗鬼になり、相手を放し、僕もその場を去った。  
 
あんなにも大量のマスタードを付けられたことと、足の間に置いてある人の荷物を盗むことにショックは大きい。    犯人はティッシュをくれた女、マスタードを付けた人物、盗んだ男の三人以上の可能性が高い。   
 
以前から盗難に関しては沢山の情報を得ていて、(例、唾かけ強盗。  唾をかけた後に親切を装って集団で周りを囲み、拭いている間に物を盗む)  注意はしていたが、プロの手口は非常に凝っていて上手い。   さらに昨日は日曜日。  土日は警察の数が極端に減るので強盗も増える。   特にボリビア人の盗みの手口は手が込んでいる。   小柄なので力づくでは困難なので色々考えるのだろう。
 
結局服は汚れたが何も取られなかった。
 
 
バスで国境へ。  ペルー側の国境警察の悪行 (何も悪いことをしていない旅人を署へ連行して荷物検査をしている間に金目の物を盗んだり、釈放のために金をせびったり) は有名なので注意していると、二人の怪しい警察に呼び止められた。 勘でこの二人が怪しいと思い、西語が喋れない振りをしてその場を去ると追いかけてこない。  
 が少し時間を置いて宿へ戻ろうとすると、僕を見つけ後を付けてくる。  角を曲がった瞬間に全速で逃げる。    
 
小さい街なので上手く見つかってしまい、署へ連行。  狭い部屋で取調べを受ける。 初めに西語を話せない振りをしていたし、悪徳警官なので自分に有利にするために英語と日本語とジェスチャーだけで答える。 (相手が西語で聞いてくるので西語がうっかり出ないようにするのは困難。  国際スパイの凄さを知る) 
 荷物は全て入念(というより嫌がらせと時間稼ぎ) に検査。  ズボンとTシャツ以外全て脱がせられる。  本に挟んでいるしおり代わりの小さな紙切れまで入念に検査するし、時間稼ぎのために読めない日本語の本まで全ページチェック。  ドラッグが有るか無いかのチェックなのにだ。   
 
一時間以上拘束。 くだらない、不必要な、わけの分からない質問も多々。 全てできるだけ多くの時間拘束して僕に金を払わせようとしているのだ。  時間稼ぎも無理が出始め、たまたま僕が持っていたフジモリ前大統領の本をきっかけに署を出ることができた。  彼らもフジモリ支持者だったのだ。  
 
といっても僕の宿まで付いてきて、ベッドメイキングされたままの綺麗な何も無い部屋を入念にチェック。  僕も多大な屈辱で怒り心頭に達していたが、二人の警察官の前ではそれを表には出さずにいた。    全てが終了して開放された後、二人に名前を聞くといっこうに名乗らない。  先ほど僕にチラッと見せた警察手帳も絶対見せない。 
腹が立ち、署へ戻り、他の警官に聞いても教えてくれない。   憤慨してもう一つの警察署へ行き、やっと二人の名を聞くことができた。  
僕にできることは日本大使館に連絡し、今後こういうことが起こらぬ様に懇願することだけだ。
 
ボリビアへは同日に戻ることはできない。 小さな橋一つ越えれば悪徳警官に会わずに済むのに、ペルーにいる間は気が気でなかった。  権力を悪用されると一般民は成す術が無い。 
 
 
 宿の男に事情を説明。  一人は悪行で名の知れた警官だった。  フジモリ大統領の本がきっかけで釈放されたことを話すと、彼もフジモリ大統領支持者で、大統領の話になった。 
 
フジモリ大統領のペルーへの多大な貢献を僕に話してくれたし、現政権と、フジモリ以前の腐敗政治についても語ってくれた。  僕がペルーで苦労したストについても、
”フジモリ時代にはストなんか無かったんだよ”  
 ”この街にはフジモリ政権時代に造られた学校、道路、橋、建物が幾つもある。 でも他の大統領は殆ど何もしてくれなかった。” とも。
 
 
さらに今日知ったが、日本大使館へ連絡して事情を説明しても、現トレド政権は改善しないと。  フジモリ氏、早く戻ってきてくれ!
 
この旅で最悪の一日だったが、何も盗まれずに済んだことは不幸中の幸いだ。 今後のためにもいい体験、勉強になった。
 
 
 
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BOLIVIA-LA PAZ

日本の秋のような気候のラパスにいる。  日本は梅雨らしいが、こちらは乾季で冬。  
 
 
プーノで先月25日、朝6時過ぎにチェックアウトしたとき、宿の人が僕に言った。 ”スト終わったよ。 バスでCOPACABANAへ行けるぜ。”  と。    やっと終わった。
 
二階建ての綺麗なバスで左手にティティカカ湖の朝を見ながら快適に過ごせたのはたったの一時間。   バスが故障して、ワンボックスカーに乗り換え、ぎゅうぎゅう詰めになって進んだ。  良かったのは助手席に座れたこと。  二階建てバスでは気付かなかったが、道路に沢山の石が置いてある。  ストの石がまだ取り除かれていないのか。 
 
国境手前で車を降り、気付いたら国境を歩いて渡っていたほど、どこが国境か判りにくい国境だった。   車一台通れる程の小さな石の門。   その真下にソフトボール大の”PERU/BOLIVIA"と書かれた金属のプレートがはめてあるだけ。  普通其々の国旗とか、国名が大きく書いてあるんだけど。 
 
イミグレは一つの質問もなく簡単。   国境からすぐのCOPACABANAという小さな町に宿をとる。  物価が安くなったこと、バスの形が変わったこと、売っている物が多少異なることくらいであとはペルーと殆ど変わらず。    ボリビアに入った実感わかず。   
 
町のメルカド(市場)で食ったトゥルーチャのフライが美味! ラテン世界で食した魚で最も美味かった。 ピカロン(ドーナッツのようなものに蜂蜜のようなものをかけたお菓子)も!
 
アルパカに触る。 毛が深くて気持ちよく、熊のぬいぐるみのようだ。  夜は煌々と光る豆電球の屋台が沢山出ていて情緒がある。  やはり豆電球の屋台群は温かみがあっていい!
 
 
 
 翌日、朝から17KM歩いてISLA DEL SOL(太陽の島)へ向かう。 途中あまり人も車もなく景色がすごい。      島まで渡るのに手漕ぎボートを頼む。   漕ぎ手は体つきはいいが老いているので、聞くと83歳。    途中から一緒に漕ぐ。   左右で漕ぐ我々の年齢差を想う。 
 
太陽の島の丘のてっぺんの宿に泊まる。   景色が尋常じゃない。  物凄い景色。   群青色の宝石のような輝きを見せるティティカカ湖の色合いと広大さ。  その向こうに湖の上に浮いているかのようにも見える白い雪を被った6000M級の山々。   どこを見ても雲のない澄みきった空。   ぽっかりと一つだけ空にアクセントをつける白月。   そして静かなるペルーの大地。 
 
 
夜、懐中電灯を持って外に出ると、瞬間で天の川が判った。 あれだけ星が沢山あるとミルキーウェイと名付けた人の気持ちもわかる。   そして明るい流れ星。 
 
 
 翌日は湖の両側が見える島の中心の丘を北へ歩く。  ストの直後で旅人が殆どいない、 一人の静かな散歩。   景色は圧倒的で気絶しそう。   こんな景色地球上に存在するとは想わなかった。    上記の湖と空と雪山の圧倒的な景色。   標高4000Mの広大な湖は、今までの観点を様々な点で覆す。
 
”今まで見た自然の景色で最も美しい景色” だと思う。   空の青と、雪山の白、湖の群青色だけでこの景色が造れるなら、他の色など不要にさえ思えてくる。 
 
一日で周れる島だが、去るのが惜しくもう一泊することに。   小さな湾の小さな村の宿。   湖で足など洗っていると、子供たちが寄ってきて ”空手を教えろ!” と。 ”空手は知らんから柔道を教えてやる” と言って子供を投げると喜ぶ。  無邪気だ。
 
 
 翌朝、湾を湖沿いに歩くと誰もいなく静かで小さなさざ波の音だけが心地いい。  丘を歩いていて景色を見るために立ち止まると、音がないことに気付く。   随分下に見える湖の紋様や、遠くに見える雪山、大地は全く動かず、まるで時が止まったかのようだ。   時折吹く風だけが時の経過を教えてくれる。 
 
大自然の中で無音を実感したのは今までにUAEの砂漠と、この太陽の島だけ。  貴重な体験。
 
豚と羊が仲良く羊飼いに連れられて草を食みながら歩く。  その草を食む音さえも随分大きな音に聞こえる。 
 
ある一人の羊飼いが話しかけてきた。 ”俺の口のまわりを見てくれ。 火傷のようになってるだろう? 何でこうなったか分らないが痛むんだ。 医者に行く金も無いし、薬を買う金も無い。 オマエさん薬持ってないか?”   
 
僕はこういう人に幾度か合ったことがある。 薬も金も無い。 あるのは毎日の痛みだけ。  相手への気持ちもさることながら、自分の置かれている環境がいかに幸福なのかがじんじん伝わってくる。
 
それにしてもBURO(ロバ)の鳴き声は凄い。  どこからあんな声が出るのだろう。  豚も凄いけど。
 
 
 COPACABANAに戻り、LA PAZへ向かった。   3時間ほどで忽然と姿を見せたラパス。  それは想像を絶する姿だった。 標高3650Mにある世界最高地にある首都。  すり鉢状になっていて側面に茶色の膨大な数の家々がびっしりとへばり付く。  中心の底部に高層ビルがある。 すり鉢の奥には雪を被ったILLIMANI山が! (6402M) 
 
町を歩く。 物が安い。 南米一安い国だけのことはある。 
 
 翌日ZONA SUR(高級エリア)の歯医者へ。  日本に留学していたので日本語ペラペラ。 ペルー、エクアドルの歯医者より全然良く、親知らずを二本抜いてもらった。 日本の歯医者よりもいい。   まさかボリビアにこんな先生がいるとは!
 
今日まで幾つかのメルカド(市)を周ったが、人口の割りに物凄い数の露店やお店がある。  人口に対して店が多すぎる。  とにかく安いので結構色々買ったが、額としては大した事無い。 
 
ブーツ100BOLIVIANO (1BOLIVIANO=13,5円。 今後ボリと記す)  CDの映画一枚約50円。  朝飯のSALTEÑA 、TUCUMANASがそれぞれ1ボリ。  他も挙げれば切りが無い。
 
街角に沢山目出し帽を被った靴磨きがいて、可笑しくて笑っていたのだが、聞いた話では ”寒さと、顔を見られたくないため”だそうだ。 かなりの靴磨きが家が無いという。 
 
ここにいると結構 ”ボス” と言われる。 ”あなた” の意だが、今までは”tu"を使われる方が多かった。  言われるといい気分。
 
 
 
  
 
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